欅坂46「サイレントマジョリティー」歌詞の意味を考察
2016/05/21
欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の歌詞の意味について考察します。
まずは欅坂46「サイレントマジョリティー」のMVを見て頂こう
何はともあれ欅坂46「サイレントマジョリティー」のMVをまずは見てほしい。※祝100万PV突破!
平手 友梨奈ちゃんがメチャクチャカッコいい
ね?すごくいい曲でしょう?特にセンターの平手 友梨奈ちゃんがカッコイイ。
ハイライトはなんといっても1番サビでメンバーが行進して作った道を平手 友梨奈ちゃんがさっそうとポーズを決めながら歩くシーン(このシーンはモーゼの十戒をあらわしているらしい)です!意思の強そうな瞳に惚れてしまいそう。
軍服と強い指導者的ダンス
そして次にサイレントマジョリティーで目をひくのが「軍服のような衣装」と「センター平手ちゃんの強い指導者的なダンス」。
欅坂46の衣装はこれまでのAKBグループを踏襲して学校の制服になっていますが、軍服のようなアレンジがされています。
センター平手ちゃんの振り付けも女の子らしいかわいい感じではなく、軍隊を率いる強い指導者のようなポーズを決めます(ハッキリいってヒトラー的)。しかしこれがまたカッコいい。
サイレントマジョリティーはもともとは「僕らの革命」というタイトルだったことからもこの演出が頷けます。さらにこの旧タイトルは「我が闘争」との対比もバッチリだ。
尾崎豊のような強いメッセージ性
最後に特筆すべきはまるで往年の尾崎豊を思わせる強いメッセージ性のある歌詞です。
アイドルなのに恋愛一切関係ない強いメッセージソングでデビューとはいうのもとても意表つかれるものがあります。
そしてこの歌詞の意味について考察したいというのがこの記事を書いた動機です。
サビでのトリッキーな転調
欅坂46のサイレントマジョリティーは歌詞だけでなく音楽的にもおもしろい仕掛けがしてあります。
Bメロからサビへの転調が非常にトリッキーにもかかわらず自然に聞かせるスゴイ技が使われているらしいです(といってもまた聞きなので私は詳しく解説できないのですが)。
音楽に詳しい人が研究すると楽しいのでは?
欅坂46「サイレントマジョリティー」の歌詞の意味について考察
ここからは欅坂46「サイレントマジョリティー」の歌詞の意味について考察していきます。というのもよく聞くとどういう意味なのかわかりづらいと思うんですよね、この歌詞は。
欅坂46サイレントマジョリティーの意味
まずこの欅坂46のデビュー曲の歌詞の意味をわかりづらくさせているのは曲名にもなっている「サイレントマジョリティー」という単語だと思う。
「サイレントマジョリティー」という言葉は教科書的・Wikipedia的意味でいうと
発言はしないが現体制を支持している多数派
という意味だ。歌詞の中に「どこかの大統領が~」とあるがこれはニクソン大統領のことを指している。
ただし「サイレントマジョリティー」を教科書どおりの意味だと解釈すると、欅坂版のサイレントマジョリティーはミスリードしてしまうだろう。この子たちは何か政治的な主張をしているのか?と。結論からいってそういう意図はないと思う。
欅坂におけるサイレントマジョリティーは政治的意味よりも字面どおり「何も発言せずに周りのいいなりになる人」くらいの意味だと解釈すべきだろう。さらにマジョリティーは「群れている」程度の意味だと思うと理解しやすい。
この解釈で間違っていないことは平手 友梨奈ちゃんのブログで以下のように書いていることからも間違いないだろう。※ウィキペディアと比較すると「現体制」という言葉が欠落している。
サイレントマジョリティーの意味は【物言わぬ多数派】です。
ここで欅坂のサイレントマジョリティーの歌詞からサイレントマジョリティーの特徴を挙げてみる。
- 選ばない人
- 発言しない人
- 行動しない人
- 大衆に流されていく人
- 大人のいいなりに生きる人
- 群れている人
- One of them
- アキラメテしまっている人
欅坂46はこんな生き方で楽しいか?目が死んでないか?と訴えているのである。NO(それはやりたくない、オレはこれがやりたいんだ)を言おう。言わなければYESということにされてしまうんだと。
やりたいことはやりたいって叫べ。君にはその権利が「自由」があるんだ。だから叫んでくれ。見栄とプライドに縛られたくだらない大人に支配されるな、One of them成り下がるなと力強く訴えているのである。そしてモーセの十戒のごとく奴隷を先導して開放しようとしている。
サイレントマジョリティーは自由に生きたい人へのエール
以上の考察から、欅坂46のサイレントマジョリティーが「やりたいことを心に押し込めて、周りのすすめに黙って(サイレントに)群れている(マジョリティー)人」という意味だということを理解してもらえたと思う。
ということは欅坂46のサイレントマジョリティーは現時点で自由に生きられていないと感じている人に向けた応援ソングだということだ。僕はこの点に大いに共感する。
僕はこれからはみんなが自由に生きることができる時代になるんだって信じている。もう組織の人間が合わせる必要はなく、均質な人間になる必要もない、そんな時代がすぐそこまで来ているって信じてる。だけどまだ時代はそこまで至っていないとも思う。
これからは自分自身とできるだけ多くのひとが自分の好きなように自由に生きられるように行動し、発言しなければいけないなと欅坂46に背中を押されたんだ。だから何かそんなことをこれからもブログに書いていく。欅坂46のサイレントマジョリティーはそんな僕のテーマソングなのだ。
なぜ欅坂46がサイレントマジョリティーを歌ったのか?
最後に「なぜ欅坂46がサイレントマジョリティーを歌ったのか?」を考察してこの長い考察を締めくくろう。
秋元靖さんは歌い手をよく見て歌詞を考えるらしい。だからある歌が与えられたということはその歌は絶対に当事者と関係のあるはずだ。
僕はこう推測する。欅坂46のメンバーはすごく大人のいうことを従順に聞く子たちだったのではないか?アイドルの型にハマりすぎていたのではないか?だから秋元康は「自分の意見を言って欲しかった」んじゃないかと。
そしてこの秋元氏のメッセージをもっとも受け止めたのがセンターの平手 友梨奈ちゃんなんじゃないかと思う。彼女の目は神がかっている。本当に強い意志を感じる。
この世界(芸能界)は群れたってはじまらない。だから平手 友梨奈はこれからも欅坂46を引っ張っていくに違いないのだ。
欅坂46のサイレントマジョリティにおいて「僕」とは秋元康、「君」はほかでもない欅坂46のメンバー1人1人に違いない。そう思うと僕はなぜか涙を禁じ得ない…というところで筆をおきたいと思います。