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スノーボール ウォーレン・バフェット伝 アリス・シュローダー

   

2010年ごろまでのウォーレンバフェットの人生が詳細に書かれた伝記。読み物としてももちろん面白いし、難解に思えるウォーレンバフェットの投資法を理解する助けになるのでウォーレンバフェット関係の本の最初の一冊目に読むとよいと思う。

第1部 バブル

第2章 サンバレー

イノベーションは世界を貧困から救うかもしれないが、歴史を見るなら、イノベーションに投資した人々は、その後、かならずしも満足してはいない。

 

第2部 内なるスコアカード

第6章 バスタブ障害物競争ー1930年代9オマハ

ウォーレンはそのころから用心深い子供で、歩き出したときも膝を曲げて地面からあまり離れないようにしていた。

バフェットの母リーラは情緒不安定な人で、バフェットは母親から愛されていると感じたことはなかったそうだ。

母親の愛情が不安定だとオキシトシン受容体不足の愛着障害になるといわれる。バフェットもそうなのかも知れない。

 

第12章  〈サイレント・セールス〉 ──一九四五年~一九四七年 ワシントンDC

デールカーネギー「人を動かす」一見、投資と関係ないように見えて、実はメンタル強化の効果があるのかも。

 

第16章  ワン・ストライク ──一九五〇年秋 ニューヨーク

保険会社が保険契約者の保険料を受け取り、保険金請求までの長期間投資するということも知った。つまり、無料で他人の金を使えるようなものだ。その考え方が、ウォーレンは気に入った。

 

 第17章  エベレスト山 ──一九五一年春 ニューヨーク

ベンジャミングレアムがはじめて企業の価値評価を体系的に行い、その手法をシステム化した。「証券分析」にそれが書かれている、「証券分析」を一般向けに書き直したのが「賢明なる投資家」である。

グレアムは人間に興味が薄い人だったから、この手法は相場神聖論に近いだろう。

 

第3部 競馬場

第22章  隠れた輝き ──一九五六年~一九五八年 オマハ

1950年代アメリカの価値観は今の日本と似ている。大企業に勤め、郊外に家を所有するのがモデルケース。

26章  黄金の干草の山 ──一九六三年~一九六四年 オマハとカリフォルニア

  • 会社の無形資産
  • 経営の力強さ
  • ブランドの永続性

定量的手法から定性的手法への移行。定量的手法だけでは稼ぎにくくなった。

第33章  店じまい ──一九六九年 オマハ

まずまずの会社をすばらしい値段で買うよりも、すばらしい会社をまずまずの値段で買うほうがずっといい。

 

第4部 歌うスージー

第39章  巨人 ──一九七三年~一九七六年 オマハとロサンゼルス

ミスター・マーケットがつける株価は、どんなときも、その本質的価値とはまったく関係ない

 

「私が記憶しているかぎり、ベン・グレアムの〔シケモクの〕価格でフィル・フィッシャーの〔成長〕株を買えるのは、これがはじめてです」

 

41章  さあ、それで? ──一九七七年 オマハ

株式はインフレに対する最善の防衛策で、ことにコスト上昇を価格に転嫁できる企業の株式が望ましい

 

第42章  一等賞の青リボン ──一九七七年~一九八三年 オマハとバッファロー

四七歳にして、バフェットはようやく自分の損失の棚卸しをはじめた

 

「三階の人間はだれも」──編集局のことだ──「利益に影響をあたえるようなことをしていない」リスクを負って見返りを得るのは資本なのだ。

 

労働者は時間と注ぎ込む努力の見返りとして給料を受け取る──それ以上でもそれ以下でもない。ディールとはそういうものだ。

 

第5部ウォール街の王様

第43章  ファラオ ──一九八〇年~一九八六年 オマハ

バークシャー・ハザウェイがわれわれの保有する事業資産の究極の所有者であるとは考えていません。そうではなく、バークシャー・ハザウェイを通じて、株主の方々が事業資産を所有しているのだと考えています

 

農場は紳士服の裏地とおなじくコモディティ化したビジネスだと見ていた。「スーパーマーケットに行って、どうしてもハウイー・バフェットのトウモロコシがほしいというやつなんかいない」

 

第45章  レッカー車を呼んでこい ──一九八二年~一九八九年 オマハ

再教育などというのは体のいい話にすぎないよ──みんなが短期大学の教育を受けてコンピュータ技術者になるなどありえない。

 

第50章  宝くじ ──一九九一年~一九九五年 地球の裏側

ゲイツは興味のないことにはすぐにいらだちを示すので有名だった。バフェットはもう退屈したからといって本を読みにいきはしないが、やはり逃れたい会話からはすぐに抜け出す傾向がある。

 

ゲイツがもっとも感心したのは、バフェットがモデルをもとにした思考体系を築いていることだった。バフェットは偉大な企業の要件を熱心にゲイツに教え、ゲイツもそれを懸命に聞いた。

 

バフェットの理想は、勝者が繁栄しつつ敗者を助けることで両者の差を縮める義務を負う世界だった。

 

「いや、こいつを建てる煉瓦の契約をとった会社を所有したかったよ」とバフェットは冗談をいった。

 

第6部 預り証

第55章  最後のケイ・パーティー ──二〇〇〇年九月~二〇〇一年七月 オマハ

「どういうところで働けばいいでしょうかとよくきかれますが、いちばん尊敬している人のところで働くべきだと、いつも助言します」時間も人生も無駄にしてはいけない、と説いた。「履歴書を飾り立てるためにつなぎの仕事をやるのは馬鹿げています。それは齢とったときのためにセックスの回数を温存するようなものです。自分の大好きなことをやり、もっとも尊敬していいる人のところで働きなさい。そうすれば、人生で最高のチャンスを得ることができます」

 

第56章  金持ちによる、金持ちのための ──二〇〇一年七月~二〇〇二年七月 オマハ

「危機に際して現金に勇気がくわわると、計り知れない価値がある」とバフェットはいう。

 

「理想の会社はどういうものですか?」質問の時間になり、ひとりの株主がきいた。「資本に対するリターンがきわめて高く、その高いリターンに見合うように資本をふんだんに使っている会社です。そうすれば複利製造マシーンになります」と、バフェットは答えた。「ですから、選択できるのであれば、その会社に一億ドルを投入して、その資本の二〇パーセントの利益──二〇〇〇万ドル──をあげられれば理想的です。翌年には一億二〇〇〇万ドルの二〇パーセント、その翌年には一億四四〇〇万ドルの二〇パーセントというように増えていきます。資本をこういうふうにずっと再投資できれば最高ですが、そんな会社は、ごく稀にしかありません……ですから、そういった会社から生まれた資本で別の会会社を買うという手もあるわけですね」

 

「だいたいにおいて、私ぐらいの年齢になると、愛してほしいと思っている人間のうちどれほどの人間にじっさいに愛してもらっているかが、人生の成功の度合いをほんとうに測る物差しになる。

 

第64章  スノーボール ──二〇〇二年~二〇〇九年六月 オマハ

「人生の目的は、愛されたいと思っている人たちから、一人でも多く愛されることだ」

 

「ちょうどいい具合の雪があれば、雪の玉はかならず大きくなる。私の場合がそうだった。お金を複利で増やすことだけをいってるのではないよ。この世のことを理解し、どういう友人たちを増やすかという面でもそうだった。時間をかけて選ばなければならないし、雪がよくくっついてくれるには、それなりの人間にならなければならない。自分が湿った雪そのものになる必要がある。雪の玉は山を登ってひきかえすことはできないから、転がりながら雪をくっつけていったほうがいい。人生とはそういうものだ」

 

全体を通して

みんなバフェットみたいになりたいと憧れているけれど、すごく変な人ですよ?

私はこんな社会不適合な生き方でもいいんだ!と何か許された気持ちになりました。

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