受験はなんのためにする?なぜ勉強するのか?
2016/09/26
真っ盛りの受験シーズンに多くの人が受験生への応援エールを送っているのに便乗して、私もこれから高校や大学に行こうとする受験生に何か書きたいと思います。
とはいえ受験のノウハウだとか通り一遍の話しは聞き飽きていると思うので、もうすこし深い話しをします。
そもそも「なぜ勉強しなければならないのか?」というテーマでお送りします。
お断りしておきますがこの記事は即効性のある受験ノウハウではありませんので、これを読んだからといって受験に受かりやすくなるといった効用はありません。
ただし大学に行っても勉強しようという意欲が湧くということはあるかもしれません。
なぜ勉強しなければいけないのかと考えるのはなぜか?
いきなりややこしい話しになって申し訳ないのだけれど「なぜ勉強しなけければならないのか」と考えてしまうのはなぜか? について考えてみます。
人がなぜこんなことしなきゃいけないの? と疑問を覚えるのは「その行為そのものが苦しいとき」です。
例えば「大好きな彼女とディズニーランドでデートする」となったとき「オレはなぜディズニーランドに行かなければならないのか?」と真剣に考える人はいないでしょう。
だから勉強そのものに楽しみを見いだしている人には「なぜ勉強しなければならないのか?」という問いは出てくるはずがないのです。
ですが多くの人にとって、勉強なんてできればやらずにゲームをしたり友達と遊んだりしている方が楽しいことなのではないでしょうか。
そこをあえて面倒くさい勉強をするということは、勉強そのもの以外に意義を見いだしているということなのです。
ではどのような理由があるのでしょう?
就職に有利
最もわかりやすいのがこの就職に有利、ということ。
いわゆる一流企業とか大企業といった会社に行きたいならば、やはりそれなりの大学に行っておくのがよいでしょう。
今は学歴不問の会社もあるといいつつも「学歴フィルター」といわれるものは確実に存在するというのが実感です。
ここでポイントなのは判断の根拠となるのがなぜか学校名と学部のみということ。大学での成績はほとんど考慮されません。
そういう事実を知ってか知らずか大学は総合テーマパークなどと揶揄され、大学生は授業に出ずに遊びまくっているわけですね。
学問は経験知を超える
勉強していることそのものは何かの役には立たないのかよ? という声が聞こえてきそうなので私の考えを書きます。
学問とは複雑多岐な現象から一般的な法則を見つけ出そうという試みだと考えます。
一人の人間が経験の中から学ぶことができることはたかが知れています。
たとえ50年とか100年生きたとしても分からないことを知ることができるのが学問の魅力でしょう。
学問を学ぶことによって、今まで見えなかったことが見えるようになり、将来を見通すことができるようになるでしょう。そしてそれは「仕事のできる人」でもあります。
それでも納得できない
ここまでの話しを聞いて「ウンウンなるほど〜」と思いましたか?
それならばそれでいいのです。
ですがそれでも「納得できない」ならばそれは真に学問的だと私は思います。
ここまでの説明で納得できないということは、その人の抱いている疑問は「人はなぜ生きるのか」という哲学的な問題だからです。
勉強すればいい就職先に行ってお金が儲かるのは分かった。でも就職しても勉強の代わりにまたつらい仕事が待っているだけだよね? だったらなんのために働くの?
こんな風に突き詰めていくと最終的に「今日死ぬのと50年後死ぬのと何も変わらないのではないか?」とも思えてきます。
おそらく世の中に存在する問題の中で最も難しい「人生の目的は何か?」という問題です。この問題に思いがいたったあなたは「頭がおかしい」のではなく「本当に頭がいい」のだとエールを送ります。もしも詳しく知りたい人は以下の記事を読んでください↙
以上「受験はなんのためにする?なぜ勉強するのか?」というテーマでお届けしました。受験がんばれ!楽しい学生生活がはじまるのを応援しているよ(=゚ω゚)ノ
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