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新海誠監督の「君の名は。」を観た感想と考察

      2016/09/29

新海誠監督の「君の名は。」を観てきました。感想および考察を書きます。ネタバレには特に気にせず書きますのであしからず。

君の名は。アイキャッチ

君の名は。が大ヒット上映中

2016年9月現在、新海誠監督の「君の名は。」が大ヒット上映中です。

大ヒット上映中!とメディアが煽っているだけで実際はそれほどでもない…というケースも往々にしてありますが、実際に映画館に足を運んでみて目の当たりにした観客動員数の多さに「君の名は。」のヒットが本物であることを確信しました。

私が「君の名は。」を観た映画館は幕張イオンモールのイオンシネマ。日付は9月5日(火)の平日です。学生が夏休みというわけでもない平日の午後時間の上映にもかかわらず、観客席が8割埋まっていました。これはすごい。土日祝日は満員御礼に違いない。

比較対照として先日立川で観た傷物語(熱血編)は全員合わせて20人くらいしか入っていなかったんです。

最近の人は映画を観ないんだなーと思っていましたが、いるところにはいるんですね。たぶんもう一部のアニメファンの間でのブームではなく、普段アニメを見ない層を巻き込んでのブームになっているような感じを受けました。入っている客層的に。年代もメインターゲットと思われる高校生だけでなく、年配の方から小学生まで幅広く入っていました。

この勢いが続けば往年のジブリ映画なみの興行収入を叩き出すかも知れません。

君の名は。の感想と考察

では、ここからは「君の名は。」を観て感じた感想と考察を書きます。

パーソナルな気持ちの発露が今っぽい

いきなり核心ですが「君の名は。」のメッセージ性についてです。

「君の名は。」のメッセージは「今はまだ知らない誰かを探している気がする。ここではないどこかを探している気がする。」というセンチメンタルな気分の発露であり、その慰めの物語です。その感覚に共感できるかどうかが「君の名は。」というアニメ作品を楽しめるかどうかの分かれ目となるでしょう。

このメッセージは新海誠監督自身の体験からきたとてもパーソナルな思いであり、それをど直球でぶつけられた感じ。。

この作りが今っぽいなと感じました。宮崎駿監督のジブリ作品と比較してみると、例えば「環境問題」という生活に直接関係のないパブリックで大きなテーマを宮崎作品は抱えていました。対して「君の名は。」はもっと小さくて身近でパーソナルな思いが軸になっている。こういう感覚が今の時代の感覚なんじゃないかと思う。

映像がキレイで芸術作品として見られる

私は新海誠監督のアニメ作品はこの「君の名は。」がはじめてだったので、その写実的な映像表現に非常に驚きました。

よく言われることですが、光の使い方が特徴的でいつも見ているはずの東京の風景がとても美しく芸術的に見えるから不思議。

ストーリー関係なく、ひとつの芸術作品として見ることができます。

私は今回いろいろな巡り合わせによってなぜか母と2人で「君の名は。」を鑑賞することになったわけですが(笑)、アニメを日常的に見ない母でも「よかった」という感想を述べていました。

案の定ストーリーの核心であるタイムスリップ設定については理解していなかっのですが、それでも満足できるところに「君の名は。」の懐の深さを感じることができます。

東京がいいところのように思える

絵がキレイということにも関連しますが、「君の名は。」には東京都心の風景がたくさん出てきます。

  • 新宿
  • 四ッ谷
  • 東京
  • 信濃町
  • 千駄木

あたりの風景がまるで実写のように緻密に描かれています。というと「じゃあ実写でいいじゃん!」という声が聞こえてきそうですが、新海誠監督は光の演出によって心情描写をしているといわれます。

よく恋をするとセピア色の町の風景が一気にカラフルになった、とかっていうじゃないですか。ちょうどそんなようにリアルであってリアルでない、恋をしている瀧と三葉の心のフィルターを通してみた東京を見せられているんです。

これを見た地方の人や外国人は東京ってイイトコロナンダナー、イッテミタイナーって思うんじゃないでしょうか。東京オリンピックに向けた東京アピールにもなっているんですよね。

Radwimpsの音楽がいい

BUMP OF CHICKEN似ているという認識しかなかったRadwimpsでしたが(笑)、今回 「君の名は。」では私の中のRadwimps株が上がりまくりました。

劇中において起承転結にあたる重要な箇所に Radwimpsの楽曲が挿入されています。

  • 起(オープニング):夢灯籠
  • 承(中盤):前前前世
  • 転(クライマックス):スパークル
  • 結(エンディング):なんでもないや

どの曲も「君の名は。」の物語と密接に関わりのある歌詞となっています。

映画を見終えるとまるでとても長い楽曲のPVを見終わったような感じがしますよ。

どの曲も名曲ですが私は「スパークル」が好き。「一生いや何生でも生き抜いていこう」というフレーズに心を打ちぬかました。これは名言。

「君の名は。」のサウンドトラックはすでに発売中です。Radwimpsの楽曲も全曲収録されています↙

新海誠監督のクリエイティブへの姿勢に学ぶところがある

「君の名は。」の本編そのものとは関係ないのですが、私はひとりのクリエーターとして新海誠監督の物作りに対する姿勢に非常に学ぶところがありました。

彼はテレビのインタビューで「水道の蛇口のようになりたい」と言っていて、その心は蛇口をひねるとすぐに水が出る(コンテンツが出る)ということで、だからこそ水源をもっていなければならないと述べていました。

新海誠監督が描く作品は非常にパーソナルな想いがベースになっているので勘違いされがちですが、決して独りよがりで作品を作っているのではなく、観客に感動を届けるために真摯に向き合っているということだと思います。

私もその「誰かに何かを届けたい」という想いをもってモノづくりに臨まねばと反省しました。

「君の名は。」 は運命の人との出会うまでの物語

最後に 「君の名は。」を総括してこの長い感想のような考察を終わりにしよう。

「君の名は。」は「運命の人と出会う”まで”」の物語である。というのは実際に映画を見てもらえればすぐに分かると思う。「君の名は。」は「運命の人と出会うまでにどんなことがあったか?」が描かれているのである。

そして 「運命の人と出会う”まで”」は本当は「生まれる前のこと(前世)」だと考えることができる。一見そのように思えないかも知れないけれど Radwimpsの歌詞を参照すると完全に「前世(生まれる前)」を意識していることが分かる。

こう考えるとなぜ入れ替わりが終わった後に瀧と三葉が記憶を失うかも辻褄が合う。前世の記憶はなくて当然だからだ。

仏教では「袖触れ合うも多生の縁」と言われ、今生(この世)において往来で道ですれ違う人(袖触れ合う人)でさえ多生(前世のこと)の縁があるといわれる。まして60億人の人類の中でたった一人妻となり夫となる人との縁は前世において非常に深いものだったと教えるのである。

だから「運命の人」を仏教的にとらえると、前世において確実に会っているし、いろいろなことがあったはずなんですね。忘れているだけで。

ということで何が言いたいかというと 「君の名は。」を見て感動するのは、この世だけの事ではなく前世からの長い因縁によって人と人とが結びついているという壮大なスケールのドラマに感動するからではないでしょうか。ということです。

「運命の人」に出会ったらこんな風に感じないだろうか?「なんかこの人とは初めて会った感じがしないな」と。それが 「君の名は。」みたいな前世だったら素敵ですね。「一生いや何生でも生き抜いていこう」と言い合える人と出会いたいものです。

まとめ:ポストジブリ新しいアニメの時代の幕開け

映画館に足を運ぶまではかなり足が重かった 「君の名は。」 。エセオタク的な何かを私のオタクアンテナがビリビリ受信していたからなんですが、それでも見に行ってよかったです。

結果的に「君の名は。」はエセオタクとかそういう概念を突き抜けた新しいアニメの時代の幕開けを感じさせるに十分なよい映画でした。これはもうポストジブリといってもいいと思う。

以上でこの長い感想文は終わりますが、高校生や若いみんなにこの感想文を読んでもらうのがちょっと楽しみである。共感するところがあったらうれしい。

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